INS地場産業研究会 皆さんから頂いたメッセージ
平成17年11

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ボランティアとNPOの間・・・
甲山 知苗

 市民活動に関わって20年以上になる。数年前は「NPOやっています」という
と、「ああボランティアね!」と言われることが多かったが、最近では、NPO
イコール ボランティアという人は減ってきた様に感じている。
 でも、NPOで仕事を受けるとなると話は変わる。「NPOだから安くていい
!」「NPOだから人件費はタダでいい」と信じている人もいる。

 ここで、NPOとボランティアの違いについて再確認しておきたい。ボランテ
ィアという言葉は、「ボランタリー-自主的」という言葉を語源に持ち、「個人
が自主自発的に他者や社会のために行う、金銭を第一目的としない活動」といわ
れている。では、NPOは、というと「グループや組織が、自分達で取り組む目
的を決め、自主自発的に他者や社会のために行う、金銭を第一目的としない継続
的な活動」といえると思う。違いは、グループや組織、自分達で決めた目的、継
続的な活動、この3点ではないだろうか?

 しかし、この3点は大きな違いを生む。組織となれば役割が生まれ、目的があ
れば成果が必要になる、そして継続的な活動には責任も生じ、財源も必要である。
ボランタリーな活動は、無償のボランティアでは続かない。

 先日いい例え話を聞いた。ある不登校の親の会の始まりは、不登校児を持つ親
が集まり、自分達の子どもの居場所を作ろうと会を作り、誰かが代表になる。
会の活動が活発になれば、自分達の子どもだけでなく、地域の子ども達を支えて
いく活動になる。つまり、代表やスタッフは、無償でボランティアをしようと会
を立ち上げるのではなく、行政サービスではカバー仕切れない自分達の問題を解
決しようと活動し、その活動が広がっただけに過ぎないという話である。

 わかりやすい例えだと思う。多くのNPO関係者は、必要に迫られて、税金で
まかなわれていないけど、地域に必要な活動を自己負担で活動して来たに過ぎな
い。その人達を「ボランティアが好きな人達(余裕のある人達)」と決め付けて
無償奉仕に近い金額で公共的サービスを委託しようとする流れは、市民が自主的
に課題解決しようとする目を摘むのではないだろうか。組織をつくり、責任を持
って活動を継続し、成果を挙げていくためには、職員も、組織の管理費も必要だ。
小さな行政を目指し公共サービスを民間に移行するなら、公共を担う市民活動を
支える財源の仕組みづくりも同時に行わなければ、ボランティアとNPOの間の
壁は大きく立ちはだかり続けるのではないだろうか?


□甲山 知苗
NPO法人アイディング理事



大根の気持ち  
高橋 幸男

 私は大根が大好きだ。特に大根おろしと刺身の具となる千切り大根には目がな
い。刺身より具の方がよほどうまいと思う。大概小さい頃食べた、いや食べさせ
られた野菜などの食べ物は、自分が大きくなると懐かしい反面、食い飽きてしま
い「またか」と箸が遠のく。特に百姓家に育つと、新鮮な野菜を食べたという記
憶より、その食べ物に対して反射的に貧乏だった頃のイメージがだぶる。だが、
なぜか大根だけは、そうした気持ちが湧いてこない。別に大根メシを食べない世
代だからではない。みそ汁にしても煮付けにしても、拒絶する気が全く湧いてこ
ない。最期の晩餐には欠かせない一品だ。

 年に二度収穫される大根。土の上に双葉の芽が出ると、しだいにイガイガの葉
っぱを四方に広げ、陽を浴び白い花を咲かせる。夏大根はあまり太くなく辛目だ。
秋大根は姿かたちも良く甘めのものが多い。そして、この秋大根は、漬け物の主
役も脇役をも張れる存在だ。白い大根はどちらかというと、強い個性と色を持た
ないが故に、様々な役柄に抜擢されるし、重宝がられる。決して当たらない「大
根役者」などとあなどれない。

 大根が畑で育っていく様子は、地上からしか観察できない。無理に見ようと引
っこ抜いても、葉っぱの広がりの割にはほんの小指ほどの場合もある。でも、確
かに葉っぱは光と水を受け、見えない地中で地球のマントル目指して堀り進んで
いる。地上と地下のその様は、表舞台で陽を浴びて花を咲かるスターのようでも
あるが、その実、役に立つ部分は隠れて地中に育つ根の部分にある。

 葉っぱと根の持つ役割を思うと、葉っぱは親のように終いにはあまり大事にも
されず捨てられることが多い。懸命に子供である根に栄養分を貯えようとする親
子関係にある。時には根がねじれたり、二股の道に思い悩んだり、「ずんぐりむ
っくりで姿形がみっともない」と不平を言うこともある。いや、世間に言われ品
定めされながら勝手に値をつけられるが、その大根の本来の値打ちに変わりはな
い。

 大根が主役に躍り出る漬け物の季節だ。雪深い東北の皺くちゃの手で漬け込ま
れた大根は暮らしの中では欠かすことが出来ない。いろいろ不平不満を言うねじ
れ大根さえ確かな出番が来る。そんな大根たちが愛おしく私は大好きだ。

□高橋 幸男
合資会社高橋デザイン事務所 代表

□[ YUKIO TAKAHASHI ]
http://www.k2.dion.ne.jp/~yukio-mu



鉄瓶作って11年。今思うこと   
八重樫 亮

 はじめに、前回コラムの岩崎圭子さんの質問への私の答え。

南部鉄器の一番の売りは「使い手の人柄が如実にあらわれる生活道具。使い込
めば使い込むほど自分だけの名品になります。」


         ×        ×        ×


 学生時代のバイト先のマスターの紹介で今の会社に見学へいってからはや
11年。ようやく人様にお渡しできるような鉄瓶を作れるようになりました。

 同時期に鉄瓶に惚れた仲間達と自分の思いを語り合っている内に、鉄瓶を購
入してもらうことを前提にするのではなく、鉄瓶にかかわらず鉄器全般をまず
知ってもらいたい、生活の中で当たり前のように使われるような物でありたい
という思いから今月の3日に『みんなで話そう南部鉄器のこと』と題して南幅
さんにもお手伝い願って座談会と懇談会を開くことができました。

 初めてのこともあり上手く参加して頂いた方々に伝えることができなかった
ことも多々ありましたが、継続ていく必要があるのではと個人的には感じてお
ります(草の根運動みたいに)。

 やはり、地元で使われてなんぼのもの。地元で使われなくてよそでばかり使
われるのであれば地場産業ではないでしょう。盛岡に来ればどこの家でもごく
当たり前のように鉄瓶、鉄器が使われいる。そんな環境にしたいと思っていま
す。

 これって私達作り手側の責任もあると思います。生活の変化に伴って需要の
低下してきた鉄器を土産物品として捉え、地元での鉄器利用の普及を心ならず
もおろそかにしてしまったこと。当然、地元の方もそのように捉え使うものと
は考えないようになってしまったのではないでしょうか?

 もう一つは、物流体型の変化もあげられると思います。生産者と消費者の間
に多くの業者が入り、作り手と使い手の距離が離れ過ぎてしまいました。この
状況が悪いとは考えませんが(多くの方に商品を提供できるのですから)、地
元での消費を考えた時すぐそこに作り手が、鉄器のプロがいるのに。そんな状
況を作り手側から変えていき工芸品でも地産地消が出来たらと思います。

 懇談会でこんな話を聞きました。「鉄瓶を展示する際、何故注ぎ口が右側な
のか?」勿論、その答えを御存知の方でした。その方がおっしゃりたいのは、
実際に使うものなのに使い手を意識した展示がなされてないのでは?というこ
とでした。私にとっては目から鱗。口では使い手側にたっての物作りを考えて
ますなんて言いながら使い難いような展示の仕方をしている。触って確かめる
ことができる鉄瓶ならば使われる場面を想定して左側に注ぎ口がくるよう展示
するべきですよね。勉強になりました。

 鉄瓶は手作りの物だと結構値がはります。いいものだと思っても欲しいな〜
と思っても購入するには勇気がいると思います。一度購入すれば10年20年
平気で使えるのもわかっているけど、使い方が結構面倒だったりするらしいか
らといって購入を見送られることしばしば。

 そこで私は考えました。車を購入する時試乗しますよね。それと一緒で鉄瓶
を購入する前に、鉄瓶を実際に使ってみて納得してから購入してもらう方法。
使い込まれた鉄瓶を実際に使ってみて、お茶の味を確かめてみたり使い終わっ
てからの取扱いを実践してみたり。それをやってみて納得したら初めて購入。

 業界全体でやるのは難しいかも知れませんが個人でだったら可能かなと考え
てます。そこでこの場を借りて、鉄瓶を実際に試したい方は私に連絡を!個人
的にお貸しします。 

題して
『南部鉄瓶利用促進運動第1段!私の鉄瓶お貸しします(しかも無料で!)』
っていうのはどうでしょうか?

 作り手側からの情報発信がこれからもっと必要になってくると11年経った
今私が思うことです。

 どんな人間がこの文章書いているか興味をお持ちになった方。来週の火曜日
テレビ岩手の夕方のニュースプラスワンに私が出るそうですの見てやってくだ
さい。


□八重樫 亮

□―Zutatto― (ずたっと)
http://homepage.mac.com/yakira11/Menu16.html



『南部鉄器/若手職人と話そう・・・!in南昌荘』
のメールに、誘われて
岩崎 圭子

岩手の地場産業といえば、常に色々な意味でトップに上げられる『南部鉄器』。
その未来は、どうなるのでしょう・・・? 南部鉄器協同組合の、しかも青年部
の主催とあって興味津々。歴史、製作工程、上手な使い方、・・・鉄瓶で、入れ
てくださった、おいしいお茶もいただきながら、鉄器の事、あれこれ聞きたい!

興味ふっとう、鉄瓶より熱くなって、少し喋り過ぎたと、反省しています。よく
晴れた文化の日、南昌荘の色づき始めた紅葉と若手職人の新作品、とてもきれい
でした。

私は、東北工大で、工業デザインを学び、リズム時計で13年、クロックの商品開
発に携わりました。(Gマークもいただきました。)その後、主人のUターンと
共に、退職、子育てをしております。今年から、何か私に、出来る事があるので
はと、もがき始めました。

在学中、研究室で大野村キャンパスのお手伝いをさせていただいたこともあり、
地場産業の力になりたいと考えております。

電子レンジ、食器洗い機に入れらない鉄器は、生活習慣、食文化の変化と共に居
場所を失いました。大事に使えば、孫子の代まで、ズーっと使えるはずなのに、
家の中から姿を消したのです。そんな、今だからこそ、HI調理機、スローライ
フ、食育、ジンギスカン等の、追い風を受け、「鉄器の逆襲は、ここに始まるの
だ!」と、言いましょう。また、新しく買ってもらえるチャンスですもの・・・
風は、吹いています。

南部鉄器の課題は、山積みでも、若い作り手の熱意で未来は開かれるのでしょう。
むずかしい事を考えるより、市民との交流会は、ひとつの良いアイデアだったと
思います。もともと職人さんは、使い手のすぐそばに居て、いろいろ言合える仲
だったのですから。

次回は、友人を連れて参加します。最初に聞いておきたい事を、忘れていました。

『あなたの考える、南部鉄器(鉄瓶)の一番の売りは、何ですか?』


 
         ×        ×         ×

十数年前、鋳物の街、高岡へ出張の際、北陸の海の幸以上に、私の心を捕らえて
放さなかったのが、50p程のゴジラの胸像でした。ゴジラの版権は、トップクラ
ス、試作は、したものの、量産には、至らず、捨てるのも、偲び難く、事務所の
片隅にひっそり置かれてあったのです。

仕事を忘れて、ぜひ譲ってくださいと申し出ましたが、願いは、叶いませんでし
た。私は、特に〔ゴジラ好き〕では、ありませんが、その重量感、存在感、鉄の
鋳肌が、ゴジラにピッタリ!なんともすばらしい!その時の感動が未だに忘れら
れません。

・・・ 余談でした。


□岩崎 圭子
インタープラン主宰
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