第四展示室「賢治さんが見た大迫」

古くから宿場町として大い賑わっていた大迫
賢治さんが訪れたは、どんなだったのでしょうか?


当時大迫街並み 資料提供「早池峰と賢治」の展示館


保阪嘉内手紙登場する「新大橋」の当時様子

江戸時代末期から明治時代にかけて、大迫大変賑わいのあるでした。盛岡遠野釜石結ぶ宿場町として栄え、また、製糸工場やたばこ産業市日などで賑わっていた大迫町には商人旅人数多く訪れていました。

賢治さんが大迫にやって来た大正年間軽便鉄道開通などにより物資流れ変わり次第大迫寂しくなっていくでした。しかし、基幹産業であった南部葉は、内川目外川目村中心盛ん栽培されており、賢治さんが書いた作品手紙にもたばこのことが数多く登場しています。

大正7(1918)に土性調査大迫訪れ賢治さんは、そのの519石川旅館宿泊し、午後から夕方にかけて政次郎親友保阪嘉内にハガキや手紙書いています。に、保阪宛て手紙追伸書かれ文章は、当時大迫町情景生涯独身であった賢治さんの恋愛観伺い知ることができ、大変興味深いものです。