第二展示室「銀河の森と作品」

銀河作品についての関連紹介します。
作品背景にあるのは、どんな景色なのでしょうか。

1)早池峰山

賢治さんが愛し詠いあげた銀河中心早池峰山作品から、心象風景をのぞいてみましょう。
早池峰山にかかわりのある多くから、代表的ともいえる3作品紹介します。

(1)「早池峰山巓


早池峰山巓複製原稿拡大する)

資料提供 宮沢賢治記念館

賢治さんが大正13(1924)817早池峰山登ったときの作品です。
早池峰山巓

(2)「いっぱいのぞらに」

いっぱいのぞらに」複製原稿
拡大する)
 資料提供 宮沢賢治記念館

いっぱいのぞらに』は『早池峰山巓』と同じ日付のある作品大迫岳集落から早池峰山登山口河原の坊向かう途中夜道詠まれたものと考えられています。
いっぱいのぞらに

(3)「晨明する童話風構想

晨明する童話風構想複製原稿拡大する) 資料提供 宮沢賢治記念館

一年後農学校教師時代最後夏休み登ったときには、4書いています。その晨明する童話風構想』では早池峰山情景詠いあげています。
晨明する童話風構想

また、河原の坊には『晨明する童話風構想』の詩碑があります。昭和47(1972)10除幕された全国16番目賢治詩碑で、文字当時小学校4年生児童です。詩碑には末尾の6刻まれています。

2)風の又三郎

代表的作品一つ童話風の又三郎』。舞台のモデルとなった場所は、様々がありますが、大迫町外川目地区もその一つ考えられています。

(1)南部葉


かつて栽培されていたたばこ・南部葉
資料提供「早池峰と賢治」の展示館

かつて、たばこの耕作地として栄え大迫町外川目地区栽培されていたのは南部葉という品種でした。このたばこの葉型はとても大きく乾燥後深い緑色保ち独自特徴持っていました。薫り高く品質優れていた南部葉は、世界的なブランドでした。
南部葉品質明治29(1896)に設置された大迫葉煙草専売所によって厳重管理されていました。『風の又三郎』には、たばこの折った又三郎を「わあい。専売局であ、この一枚ずつ数え帳面さつけでるだ。おら知らないぞ。」とはやす場面出てきます。

作品で、たばこは「たばこのはもうのほうのをつんであるので、その青いのようにきれいにならんでいかにもおもしろそうでした。」と表現されています。物語季節は9上旬です。岩手ではたばこの収穫時期一般的に8月中最盛期迎えます。9上旬時点だけが摘み取られのように並んでいる、というのは現実的ではありません。しかし、大迫だけでしか栽培されていなかった南部葉収穫は9入ってから本格的始まります。したがって、『風の又三郎』のたばこ舞台は、大迫にあった南部葉がモデルになったと考えられるのです。

(2)モリブデン


猫山から採集されたモリブデン鉱石
資料提供「早池峰と賢治」の展示館

猫山は『風の又三郎』に出てくる「上の野原」のモデルの一つ考えられている花崗岩です。猫山山腹では、明治年間にモリブデンという珍しい鉱石採掘しています。地元民採集した銀色光る鉱石銀鉱石思い福島県半田鉱山銀山)から技師招いて採掘坑開けたのです。しかし、銀鉱石ではないことがわかり、当時はモリブデン需要もなかったため、採掘断念しています。この経緯は、『風の又三郎』の主人公高田三郎がモリブデン掘るためにやってきて、採掘断念して再び去っていく、というストーリーと大変よく似ています。

また、外川目火ノ又分教場は、大正5(1916)9新築され、20教室一つと12.5控所同坪教員住宅からなる柾葺屋根四角形校舎でした。大迫では、この火ノ又分教場が『風の又三郎』の舞台となった学校として語られています。

3)どんぐりと山猫

賢治さんが生前出版した唯一童話集注文多い料理店』の冒頭飾った作品、『どんぐりと山猫』も大迫との関わりがささやかれています。

(1)岳集落


岳集落様子
資料提供「早池峰と賢治」の展示館

早池峰山登山口にある岳集落は、『どんぐりと山猫』の主人公「かねた一郎」が住んでいた場所のモデルだというもあります。 岳集落は、どんなところなのでしょうか。明治神仏分離令(1868)や修験道廃止令(1872)によって、岳妙泉寺にいた修験岳集落定住し、早池峰山への参拝者泊めたり、道案内をしたりしていました。また、中世から伝えられている山伏神楽伝承者でもありました。

岳集落から向かった早池峰山薬師岳山麓一帯は、まるで『どんぐりと山猫』の作品舞台のような世界広がっています。

(2)笛貫の滝


ふきの」のモデルとされる笛貫の滝

笛貫の滝は、河原の坊向かう途中岳川向かって5ほど降りた場所にあります。岳川右岸真っ白大理石大小7つの岩穴があり、そこを通り抜けるのような発することに由来して、この付いた云われています。残念なことに、昭和22・23(1947・1948)のカスリン・アイオン台風大雨によって土砂崩れ起き崩壊したり、がふさがって、当時面影失われてしまいましたが、現在でも周辺には多く岩穴見ることができます。

賢治さんは、『どんぐりと山猫』ので、このを「笛ふきの滝」と呼び、「笛ふきの滝といふのは、まつのなかほどに、小さながあいてゐて、そこからのやうに鳴つて飛び出し、すぐになつて、ごうごうにおちてゐるのをいふのでした。」と、往時姿をしのばせる表現をしています。